33年経ったのか
- homon-kaigo
- 2018年8月21日
- 読了時間: 4分
こんにちは!株式会社ななみ 愛サポートセンターのおりちゃんです。
今回は先日19日に父や祖父母の墓参りを兼ねて、前から行ってみたかった御巣鷹山に行ってきました。
33年前の8月12日この山にJALの123便が墜落しました。当時おりちゃんは静岡県伊東市に友達数人と海に遊びに行ってました。海で遊び疲れホテルと帰りテレビをつけると、どのチャンネルも墜落事故のニュースだったのを覚えています。
日にちが経つほど詳しい情報が連日ニュースで流れ胸を痛めておりました。
墜落現場が埼玉県、群馬県、山梨県の3県の県境との事、かなりの山奥との事で捜索も難航、遺族の方の泣き伏せている映像、見ていてとても辛かったです。
そんな御巣鷹山の惨劇を芸能人の坂上忍がとある番組で特集していて、御巣鷹の山に登ったと放送されていました。
その番組を見て、『これは人として一回はこの山へ登り、供養をしなければ』と思い奥さんと二人で墓参りをし、御巣鷹の山へ向かいました。

まずは手前の道の駅でお花を買いました。

慰霊碑。登山口はここではなく、車で40分ほどの所だったみたいです。
上の木々がVの字になっているのは墜落前に翼が接触して削れた形・・・ではないかと今気が付きました(´Д⊂ヽ


慰霊碑に隣接して遺品や当時の写真、映像などを展示していました。溶けかかったメガネや小さい子供のクツなど展示しており涙が出そうになりました。



登山道入り口人が絶え間なくいらしております。入った瞬間厳かな空気に身が引き締まる思いでした。



登山開始5分でこの有り様、きつかったけれどなぜか止める気持ちはなかったです。

仮設の橋なども整備され歩きやすくされていました。

この急斜面を当時の救助隊や地元のボランティアの方々、遺族の方々は登って行ったのですね(´Д⊂ヽ すごい!登山道を外れると砂利でも地面がフカフカで足元が崩れてしまいました。

登山10分か15分で《すのさわ》名前を間違えてたらごめんなさい!
ここは唯一の生存者が見つかった場所です。そのかわり亡くなった方たちの位牌?なんていうのか解らないですが、亡くなった方のお名前が年齢と一人一人書いてあり立てられていました。物凄い数におりちゃん焦りました。

御巣鷹山の尾根。当時ここはヘリの離着陸場所、お花を捧げご冥福をお祈りいたしました。この場所からさらに上に登れて遺品を収めてある場所があり犠牲にあった方々の写真などを遺族の方々が持ち寄られた建物がありました。
登っている途中から数字の書いてある札が立ててあり、途中で気が付きました、座席の番号だったのです。名前の書いてあるお札一枚一枚にできるだけ手を合わせ尾根へ到着したのですが、犠牲者の方はさらにこの上の方にも沢山おられたのです。この時のおりちゃんは汗はビチョビチョ足はガクガク、杖を持っていた手もプルプル状態、そんなのを忘れできる限りの犠牲者に手を合わせたく登りました。

やや中央のV時のへこみは先ほど同様翼の接触場所と思われます。かなり遠いですよ!
そして下山!それは突然話しかけられた現地でボランティアをやられてる当時の生き証人の方、「登山道は一つではないから帰りはこちらから帰ってみては!」と言われ、それからがさらにショッキングでした。
尾根から誘導され一本の細い登山道へ入りボランティアの方が「もう少し行くと九さんの慰霊碑があるよ」と、【上を向いて歩こう】の歌手《坂本九》さんだったのです。もちろん手を合わせてその手前にはドラえもんが沢山あり、先日放送された《美谷島健くん》でした。
できる限りの方たちにご冥福をお祈りしながら・・・ですがあまりの犠牲者の方の数が凄まじく520人からの犠牲者の数に圧倒されました。
一時間かけ手を合わせながらの下山、疲れよりも失礼かもしれないが、気持ち的にも清々しく
『やっと来れた』との気持ちになりました。
人として一度は来て手を合わせに登りなさい、それぞれの人達の人生や叶わなかった夢もあったでしょう、悔しかったでしょう、悲しかったでしょう、怖かったはずです、私も解ります、親ですかし子供でもあったのですから。
ご冥福をお祈り申し上げます。

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