死とは・・・
恐い題名、こんにちは!株式会社ななみ 愛サポートセンターのおりちゃんです。
終末期、人に誰でも訪れてくる【 死 】これはいかんせん誰もが迎えるものであり、決して避けられないものであります。
先日、私おりちゃんが担当していた、とある高齢者の方が亡くなりました。
昨年にガンで手術となり、医師からは「体力の問題もあり、ガンを取り切れなかった・・・」と。
この方はおりちゃんの酒飲み友達で数年前に知り合い、それ以来個人的に付き合いのあった方で、一言でいうと、とにかくワガママ(笑)頑固物、ケチ、人を利用することしか考えない人 (;´・ω・) 一言じゃなかった(笑)
でも・・・俺は好きだった・・・説教もされた、けんかもした、涙も流した、あの爺さんと知り合い、再度人生の勉強をし直しました。
もちろんあの人の【死】は辛かったけれど、ある程度の期間はあったので《受容》はできていました。
祖父や祖母、親戚などの【死】は何度か経験しているのもあったので、おりちゃん自身は表向きには何ともない様に見られ、感じていました・・・
ところが、何とも言えない心の隙間にたまに淋しさ?・・・?何だろ・・・?表現できないもどかしさ、イライラしてしまう自分がたまに存在するのです。
更年期・・・?男にもあると言うし(;´・ω・) 酒で紛らわすことすらできないのです。
結局のところ、うざく、面倒くさい人でも、私おりちゃんにとって父親みたい存在だったのか知れません。
実の父親は10年近く前に亡くなりましたが、この人はとにかく私とは合わず、と言うか毎日暴言を吐かれ、こちらが精神的に参ってしまうほどの人で、おりちゃんとしては幼少の頃より大嫌いな存在で思春期には「早く死んじゃえばいいのに」などと思っていたくらいなのです。
そんな父親とは見れない人でなく、おりちゃんの事を考えてくれ、色んな話をしてくれた今回亡くなった人の存在は予想以上にデカかったかもしれません。
この方が亡くなった報告や情報などの経緯は色々と話すと個人情報もあり、大変なので省かせていただきますが、常識的ではなかったとだけ言っておきます。
この写真は亡くなる一ヵ月前にお見舞いに行った時のものです。
この時、余命宣告を受けており、本人はおりちゃんを傷つけまいと「正月まではどうかな?」と言っていましたが、実はおりちゃん・・・知っていました。来月は越せないと・・・タンも切る力も残っておらず、力の入っていない声・・・それでも病院の下にあるコンビニに行き「コーヒーをブラック2本甘いコーヒーを2本、キャンディーに何だかんだ買ってきてくれ」と言われ、断ったのを覚えています。(事前にナースセンターで言われていました)
後日、亡くなる3~4日前にも奥さんとお見舞いにいっており、この時も同じやり取りをしたものです。
実際最後のお見舞いはナースセンターで「あまり長くはご遠慮ください」と言われており、この時も本人は一日の殆どを眠っていて、「たまたま起きていた」と言っておりました。
この段階で本人は退院できないと思っていたみたいです。
わたくしおりちゃんは葬儀に行っておりません。呼ばれもどこで行うも聞いていません。今日現在【 お別れ 】すら出来ておりません。お墓もどこにあるか知りません。お線香すら墓前で上げることもできません。
友達と思っていてもご家族にはそう思われていなかった・・て事になります。
ご冥福をお祈りいたします
俺がそっちに行った時は、また一緒に飲みながらあなたのうるさい歌でも聞きましょう(@^^)/~~~
あと少しで誕生日を迎えジイサンへ
そのうちそっちへ行くであろうおりちゃんより!